「自分でやった方が早い病」の治し方 (川上の場合 その3)

仕事山積み

起こるべくして起きた問題。
社内の空気に主体性がなく、管理職は育っていない。仕事ができる人は数名いるけれど、完全に仕事が属人化してしまっている状態。その上、組織はフルフラットな文鎮型。どう考えても、私が巻き取って仕事を再配分するしかないなと思ったのが運の尽きでした。
もとから私は、「対応業務の横幅日本一!」を自負しており、完璧ではなくても出来ない業務はないというタイプでした。また、関わり始めると細かいところまで気になってしまい、どちらかというと仕事の仕上がり具合の粗(アラ)に眼が行ってしまうタイプでもありました。よくいる嫌われるタイプです。

そんな私が、業務を巻き取って再配分しようなどと思い始めたものですから、今まで以上に、もう本当に細かいことまで、誰でも何でも相談に来る毎日が始まりました。自分で巻き取っておいてなんですが、正直にいえば、そんなこと自分で考えてよ!と言いたくないようなことまで、なんでもかんでも指示を求められました。その上、細かいところに眼が行ってしまう私の眼には、“もっとこうして欲しい” 、“ここを押さえておかないとお客様からご満足はいただけない”と気になる点がいくつもありました。任せて安心なエースの仕事も、属人化していて社内関係者への共有が未完全なところもあり、結果、社内連携がとれていなく、トラブルの原因にもなっていました。

もう本当に、目が離せないとはこういうことを言うのだなという毎日でした。
こうなってくると、いちいち指摘して、やり直してもらうということでは完全に追いつかなくなってきました。どれも、これもが、社外に出すには、お客様にサービスとして提供するには、仕上がりが粗(アラ)く、そこを指摘するくらいなら、粗さも含めて私が引き取って修正しようなんて思っていました。相手がいたり、締切があると、どうしても「あ、あと私がやっておきますね」なんて言葉を繰り返していました。人の良い甘いダメ社長の典型です。

しかし、そうなってしまう原因は、完全に私にあって、段取りの仕方、求める仕上がりのクオリティー、そしてやり方、手順、時間の使い方など、そもそも教えていないのですから、そうなってしまうのも仕方がありません。完全に悪循環の沼にハマってしまった私には、一から教えてあげる時間もなく、更に、もっと悪いことに、私には本来の社長としての仕事をする時間もなくなってきていました。
社長の本来の仕事とは、未来を考え、創ることだと私は思います。決して、足元の現場を回すのは社長の仕事ではないと私は思います。でも、その時の私は、完全に「自分でやった方が早い病」ステージ4くらいまで重症化してしまっていました。

ここまでくると、そもそも、ワークライフバランスな部下たちは、私がやってくれる前提で、相談にくる、報告にくるということにもなっていました。だって私がなんでも巻き取ってしまうから。もちろん、社内の個々の一人ひとりには秘めたる良くしたいという思いや、やる気、責任感も当然にあるのですが、会社全体としては、自分が前に出てやってやる!というような主体性が表現されているような雰囲気ではなく、どちらかというと、静かな雰囲気だったので、その雰囲気を変えようとして、みんなにもっと主体的になって欲しいと願っていた私自身が、かえって社内から主体性の空気を奪うという最悪の最悪の最悪の結果になってしまっていました。
みんなは定時ちょっと過ぎに帰って、私だけが深夜まで会社に残るという毎日でした。でも、私はそのことを社内で文句は言えませんでした。できれば残業はしたくないと思っている人に、残業することを前提に、あれやって、これやってと私は頼めなかったのです。人が良すぎました。頼み方が下手過ぎました。人の良い社長が会社をダメにするという話は聞いたことはありましたが、そのときは、私自身が、そうなっていました。そのときは自分では気が付かないのです。みんなのために自分が頑張れば良いのだ、いつか業績が上向けば社風も雰囲気も変わる、とだけ思ってとにかく、自分でなんとかするんだー!とたった一人で頑張っている毎日でした。
まあ、一人で頑張ったところで会社が良くなるはずなんてないのです・・・頭ではわかっていても「対応業務の横幅、日本一」な私が、「自分でやった方が早い病」を重度に患ってしまうと、もう自分ではどうすることも出来ませんでした。

一般的に経営の基本として、経営者は現場を人に任せろ。権限は移譲しろ。失敗させろ。経験から学ばせろ。いろいろと言われています。私もわかっていますし、当時も頭ではわかっていました。周囲からも、さんざん言われました。でも、高速で走っている列車をどうやって方向転換すればよいのでしょう? 私は「自分で抱えるな」と言われるたびに、邪悪な気持ちが沸き上がってイライラさえしていました。「じゃあ、やってみてよ!またトラブルだらけになるぞ!!」みたいに、すっかり病んだ心は、自分の視野も相当に狭くさせていました。悪いのは、会社のみんなでも、アドバイスしてくれた人でもなく、自分です。

でも、このような状況になってしまった場合、任せて上手くいくパターンは、そもそも、“打てば響く人材”がいる会社でとれる解決策なのだと私は思います。または、経営者ではなく、多少の失敗は会社全体でカバーすれば良いという後ろ盾のある中間管理職が考えるような解決策です。主体性のない雰囲気が出てしまっていて、未経験者への教育体制もなく、仕事は属人化しているエースで回っているような会社の、最後の砦になっている社長には、そんな悠長なことは言っていられません。そして、仮に新潟にいたときの私が、誰かに権限を移譲して、組織内での人材育成を優先させたなら、それは実務のスピードを落として、一時的に売上ダウンになる可能性を受け入れるということでした。

当時の私は、売上は確実に前年実績を超えなくてはいけない使命をもっていたので、売上ダウンになる可能性を受けいれて、一時的に仕事の質が下がっても、人材育成にフォーカスすることなどは出来ませんでした。短期的視点だと言われようが、それが現実でした。
このようなことは、中小企業ならよくあることではないでしょうか?社長がトップ営業で、売上の多くを担っていて、社員は、社長の指示で動いているという会社です。そして取引先との関係もあり、社長自らが担当しなくてはいけないことが多くある。もちろん売上が下がることは受け入れ難い。

そのときの私は、もう自分ではどうしようも出来ない状況で、会社の売上を下げることもダメ。そんな中、ついに私は、東京から人材を1名入社させる決断をしました。もう自分ではどうしようもないのだから、自分の意を組んでくれる【ミギウデ】を会社に入れようと決断しました。新潟に知り合いも少なかったので、私は東京から人材をいれました。東京からなのでお給料も東京レベルです。人件費が上がってしまうことで、最終損益に影響がでることはわかっていましたが、でも、もうこれ以上、私の「自分でやった方が早い病」が重症化してしまっては、中期的には会社全体の売上も伸びなくなってしまうと判断した結果でした。
次回、東京から人が来たら、何が変わったのか?からコラムに書いていこうと思います。